半生記録と反省記録

自分の人生を書き留めていく半生と反省の記録

■初めて雇用される以外の方法で利益を上げたあの日の思い出。

お題「始めて雇用される以外の方法で利益を上げた時。」

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こんばんにちは。ツナ缶です。

 

はてなのマイお題を見ていたら1つ気になるお題があったので、筆を執る(デジタルなのに)

「始めて雇用される以外の方法で利益を上げた時。」

きっとフリーランスの方であったり、自営業なども含めた、被雇用・サラリーではない方向けのお題かもしれない。

 

ただ私は完全なるサラリーマンであり、雇用される人生を送ってきた。なのでお題の求める本筋とは違う形での回答になるかもしれないけれど、思い出語りをしたくなったので、今こうやって筆を走らせている。(デジタルなのに)

 

私がどうやって雇用される以外の方法で利益を上げたのかというと、

それは「ダンスのインストラクターを務めた」である。


ここからはかなり自分語りなってしまうけど、その時の思い出とともに綴ろうと思う。

 

 

 

■最初はとにかくダンスがしたかった 

今現在はほとんど体力もオチてしまったし、動けるような時間がほとんど確保出来ないので練習もろくにしていないが、私は元々趣味でダンスをしていた。

いわゆるブレイクダンスというやつである。

 

頭でクルクル、背中でクルクル、みたいなイメージのダンス。最近ではRedbull主催の大きな世界大会などもあったり、どんどん知名度が高まってきている。はず。たぶん。

ダンスとの出会いは中学時代の友達に誘われ、そのまま一緒にスタートした。

 

当時クラスカーストでも真ん中より少し下程度に位置していた私。友達も普通にいるし、オタク趣味な人とも話が出来た。ただヤンキーや声でかい人間とは挨拶するタイミングはあれど、会話をするということは殆どなかった。

 

ただそんな私にクラスでも特にヤンキーな見た目のクラスメイトが声をかけてきた。

 

「お前ダンスやろうぜ」

 

それがダンスを始めたキッカケだった。

 

ただ当時、僕はダンスの他に、とある格闘技系の部活に所属もしていて、そちらでも何気に大会等で結果を残していた。なのでもちろん部活優先であり、ダンスはあくまでも「趣味の1つ」という立ち位置だったように思える。遊び方の1つという感覚。

 

そこから中学を卒業し、高校に進学。地元の高校に進んだこともあり元々ダンスをしていた友達も一緒(ただ最初に誘ってきた彼は高校進学すらしてないので既に疎遠に)、なので必然的に一緒に遊ぶわけだが、中学で一生懸命部活をやっていた私は若干の燃え尽き症候群になっていた。

 

つまり、その部活自体にマンネリ感を覚えていた。意欲が湧いてこない。

となると、元々遊びでやっていたダンスに費やす時間が増えてくる。どんな物事でもそうだけど、実践する時間を増やせばそれだけ成果は上がってくる。

 

中学の時に遊びでやっていたダンスだったが、段々と出来る技が増えてきたり、ダンスの面白さに触れるにつれ、その魅力にどっぷり浸かっていくことになる。


「あれ、ダンスって面白ぇ」

 

そう思った次の日には、顧問の教師に退部届を出していた。

 

その後はダンス部(同好会だったかな・・・)を設立。私を部長に置き、学校公認の団体となることで、学校行事があればそのステージでダンスを披露する権利を得て、練習場も確保、そして顧問となる先生も確保。とりあえず自分が満足できる環境づくりを進めた。ちなみに練習する際には自分たちで勝手にやるので顧問についた教師はとても楽だと言ってくれた。


さらに、周りの大人にも「本格的にダンスを始めたよ」と伝えておくことで、その後、地域の祭りで披露したり、地元が開催するステージイベント、文化系イベントなどにも呼んでもらえるになった。


そして当の本人たちは自分たちで出来る練習をしまくった。ダンスはダンススクールで習うというイメージもあるかもしれないが、その殆どが独学だった。それでも、人前に出て踊れるほどの実力は身に付いた。

そうしてこうして、青春時代の全てをダンスにかかげた。

 

■地元を離れて県外へ

そして高校卒業と同時に上京。


なんてことにはならず、普通に地元で就職をする。ただ、その職場に自分自身が馴染めない事と、今までダンス漬けだった生活からか、そこから急速に抜け出したい感覚に苛まれ続ける。

 

何かしたい、何かしなくちゃ。と思いながらも過ぎていく日常に変な焦りを感じる。

そんな時一緒にダンスやっていた友達から連絡が入った。

 

「俺、ダンスしに県外いくわ」

 

届いたメールに対して、私は「一緒に行く」と返事をして、その数日後には職場に退職届を提出。今考えればゆとり的行動だなぁ……なんて思うが、正直その時の職場をやめて正解だったと思う。

 

そして、いざ地元を離れて県外へ。行った先はぼかしておきますが、ある程度都会な県。そこで就職先を探して(と言っても派遣)、地元の練習場に顔を出して一緒に練習させて貰うようになった。

 

その時が確か18歳。

とにかくダンスがしたかった。
とにかくダンスが上手くなれればそれで良かった。

 

後先考えずに行動できたのは若さ故だと思いますが、その行動力に今さらながら感服するばかりです。

新しい練習場にいた人達はとても温かく迎えてくれて、一緒に練習してくれたり、休日出かけたり、大会(と言っても小規模。バトルとかって言ったりする)に呼んでくれたりした。

 

本当に尊敬する人達ばかりだったし、なんなら当時Youtubeで動画で取り上げられているような人もいて、毎日興奮しながら練習していた。

※当時Youtubeとかって自分自身が上げるというよりも、誰かが撮影した動画を上げるのが普通だった。だからYoutubeで見たことある人だ!っていうだけで凄く感じた。

 

■突然鳴り響く電話

そんな感じで有意義な生活を送っていたある日。

突然、私の携帯電話に着信があった。

その練習場所で一緒に練習している先輩だった。

その人はその練習場でも一番尊敬していた人で、私をヲタクの世界に誘った人でもあった。


電話に出てみると少し焦ったような声で、

 

「ねぇツナ缶くん。今日ダンスのインストラクターやってくれない?今日忙しくなっちゃって、担当しているスクールに行けそうにないんだ!だから代行してくれると助かる!」


初めは何がなんだかわからなかったし、たぶん数秒は返事が出来なかったと思う。その先輩が言っている意味を徐々に理解した私は

 

「え?え?」

 

としか反応が出来なかった。

 

なんでも先輩が教えているダンススクールがあり、そのレッスンがその当日にあると、だけど先輩がいけそうにないから私に代行を頼んできたのだ。

急な話しすぎて最初は断ろうかとも思ったけど、先輩と話ししてるうちに「なんだかやれそうだ」と思った私は「やらせてください」と返事をしていた。

 

その理由が「ツナ缶くん、上手いじゃん。教えれるよ」っていう一言だったりする。なんとも現金な話し。

 

そんなこんなで初めてダンスのインストラクターをすることになった私は、おもむろにテンションがあがり、駅で一人叫んでいたと思う。

 

人に教えるということは、ある種、自分が認められたのと同義だと思ったからだ。

高鳴る胸を押さえて早速ダンススタジオに向かった。

 

■いざスタジオへ

電車とタクシー、そして徒歩を組み合わせてやっとこさスタジオに到着。

 

教えるのは2クラス。それぞれ前半クラスと後半クラスのように、時間がズレているため、続けて2時間のクラスを担当することになった。

 

まぁ細かいところは専門的になるので端折りますが、とにかくみんな真面目で、教えた事を1つ1つしっかりと学び取ろうとしていたのが本当に感動した。

 

最初は自分が教えても大丈夫だろうか?という不安はあったが、教えていくうちにそんな考えはどこかに消えていた。

少しでもこの人達に与えられるものを与えたい。という気持ちのほうが強くなり、もう自分が考えきたダンス論も含め、自分独自の練習方法も含め、教えられるだけ教えた。

 

この時に気付いたのが、誰かに何かを教える。それが私は好きなんだと悟った。よくよく考えれば地元の練習場所や部活を立ち上げた時もとにかく後輩におせっかいなほど教えてた。そういうのが好きなんだなというのに、その時ようやく気付いたのだ。


今思い出しても本当に楽しい時間だった。

 

■そして・・・

2クラス分、レッスンを終え。
それがその日の最終レッスンだったため、スタジオが締められるまで生徒とダンスについて話をしたり、自分の身の上を語ったりしながら帰る準備。

何かタメになることがあればと、少しゆっくりめに片付けながら色んな話をした。

そして最後の生徒が帰ったあとで、そのスタジオのオーナーさんから声がかかった。


「はいこれ、今日の分」


そう言われて渡されたのは2千円とちょっとした小銭だった。

金額にしたら本当に少ない金額。


それでもそれを受け取った時に、体の中から熱い感情がこみ上げてきた。

 

最初は友達に誘われて趣味でやっていたダンス。そこから部活を立ち上げたりしながら、友達と一生懸命練習したりした。もちろん色んなトラブルもあったし、喧嘩とかもしたし、良いことばかりではなかったけど、それでも「自分が楽しいから」と、そんな気持ちで続けていたダンス。

 

将来はプロダンサー。なんてことは1ミリも考えてなかった。とにかく今が楽しければ良いと思っていた。

 

周りにも何やってんだって言われたりしていた。そろそろ将来を考えなさいとか、遊んでばかりいるんじゃないとか。楽しいばかりじゃなかったのは確かだった。

 

そんなダンスで、初めて対価が得られたのだ。


一瞬にして涙が溢れそうになった。

 

こんな自分でもダンスで人に何かを与えられたのだと思った。

 

認められた。

 

その感情がこみ上げてくる。


もちろんオーナーの前で急に泣くことなんてできずに、
お礼を言って外に出て、歩きながら少しだけ泣いた。


肌寒い空気が吹いている中、頬が冷たくなるのを感じていたのを未だに覚えている。

 

それが、初めて雇用される以外の方法で利益を上げたあの日だった。

 

■どんな出会いにも意味がある

ヤンキーの友達との出会い。

その後一緒にダンスをやる友達との出会い。

県外に一緒にいこうと誘ってくれた友達との出会い。

新しい練習場所での先輩たちとの出会い

インストラクターに誘ってくれた先輩との出会い

 

色んな出会いが重なって、私は初めてダンスを教えるという経験をさせて貰ったと思っています。この中の1つでも欠けていたら、その体験はきっとなかったかもしれない。

 

そう思うと、世の中の出会いっていうのは本当に尊いものだと思います。

 

なのでぜひ出会いを大切にしてもらえればと思います。


ひょんなことから思い出した自分語りでしたが、楽しく読んでもらえたなら本当に嬉しいです。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。m(_ _)m

 

■追伸

ちなみにインストラクターとして貰った報酬は、
電車代とタクシー代でマイナスになりました。

あるぇ・・・?